風呂にて

久しぶりに長男とふたりきりでお風呂に入った。最近ではこどもたちだけでお風呂に入れるようになったし、それでもたまに一緒に入ることはあるのだけど、昨日から次男が発熱していたので今日は長男とふたりだけで。
実は私が仕事をはじめた事と、それにかかわるもろもろの事情で、長男が夏休みに入ってからずっとこどもたちは私の実家にあずけている。なので今回は会社の夏休みのあいだこどもたちに会いにきた、というわけなのです。
お風呂で体を洗いながら、長男が「ママ、明後日にはもう帰るんでしょ」と言う。「うん。さみしい?」「うん。ママとずっと一緒がいい」「そうだよねぇ・・。でも夏休み終わっておうちに帰ったらまたずっと一緒じゃない」「ママがお仕事はじめてからは全然会えない」「・・・・・」。
長男は小さい頃から遅くまで保育園にあずけられる事が多く、親がいないことにそれなりに慣れていて、なので最近の私の不在にも無関心なほどにほとんど反応を示さなかった。だから私はけっこう安心していた。でもやっぱりそんなはずはないわな。そりゃさみしいよな。言い訳したい欲望にかられるが、こどもにはそのまま話せないいろんなおとなの事情に感情もある。
「ごめんね。さみしいよね。でもさぁ、ママもがんばってるんだ。みんなが、いろんなことが、うまくいくといいなと思って、ママもママなりにいっしょうけんめいがんばってるんだ。ごめんね。きっとだんだんと落ち着いていくと思うから、もう少し、待っていてね。」
うん、うん、と静かに聞いていた長男だが、最後にぽつりと「ぼく、もっといいこにする。もっと、いうこときいて、いいこにする」と言った。
こんなこと言わせるなんて酷すぎるよなぁ、と思いつつ、それ以上何も言えなかった夏の夜でした。

というわけで田舎

田舎に来ております。豊かな自然に癒されるぅ〜。んだけど下世話な人間関係(というか家族関係)に煩わされるぅ〜(母がうるさくて・・・・。
思うのだけど、「子育ては大変だ」とはよく聞くし、私自身も自分がこどもを持ってはじめてそれを切実に感じたのですが、実はそうでもないんじゃないか、と、この昨今のうっとおしい人間関係の中で思いはじめたりしている。
おとなはひとりで判断できる、行動できる、前提として自分のことは自分でできるのが「おとな」とすれば、こどもはまだ知識が乏しく、行動も未熟、まだひとりでは生きられないのが「こども」とする。
なんかまた前回の日記にキーワードでかぶってしまうけど、ひとりでは生きられないこどもを支えるのは親の役目であるし、何の見返りもない、報われることなどないと思っても無心に尽くすのが親の愛というものでしょう。いわゆるこれも「無償の愛」と言うんだろう。
でもこれがおとな同士になってしまうと親子であってもどこかで利害関係のようなものが発生しはじめる。気がする。配偶者や恋人、友人などに至っては、そもそもが赤の他人なので何十年付き合おうがほんの些細なことでそんな関係ご破算になる。気がする。
やれ「私はこんなに頑張ってるのに」、「僕はこんなに我慢してるのに」。¥が絡むとさらに目もあてられなくなってくる。「生活費はぎりぎりなのに自分だけ飲みに行って」、「汗水働いたあげく小遣いこんだけかよ」。そうかそうか結局金なんだな、わかったわかった、だったら稼ごうじゃないの、なんて思ったこともあった。もちろんそれだけじゃない事もわかっちゃいるけれども。
「愛情」なんていうものにしたって結局何かあるとそういう部分に落ちてくる。事が多い。気がする。「私はこんなに愛してるのに」、「僕はこんなに尽くしたのに」。「愛」にかこつけて何かと見返りを求めてくる。「思いやり」とか「礼儀」とか「責務」ならまだわかるけど、「愛してるから何なのよ」って言いたくなる。
その点、こどもはいい。こどもはいい、というか、親と幼いこどもの関係は、いい。親子のあいだでも、そりゃ無心に愛情を求めはするだろうけども、それは決して見返りとかじゃない。
まぁこどもはかわいいね、っていう話でした。あと母さんうるさいよ・・・っていう話。

疲れた

毎日疲れている。朝は8時には出かけて夜まで仕事。帰ってきても仕事。週末もずっと仕事。そんな日々が過ぎて明日から週末までは夏休み。ぅわ〜ぃ。
いつもどこかに勤めると最初の1〜2週間はなかなか新しい環境に慣れず自分のペースを出せないのはわかっているのでそれなりの覚悟はしていたのだけど、歳のせいだか、子供たちのことでばたばたしていたせいか、今回はそれが1カ月もかかってしまって、我ながらかなり辛かった。でももう大丈夫(たぶん)。夏休み前の昨日〜今日の2日間でやらねばならなかった仕事をパチリと予定通り済ませられたので気分も落ち着いたし、だいたい社内の様子も今後の課題も見えてきた。
うちの社内には自分自慢をする上層部の方が多くいらして、実際できる方々だし(たぶん)自信をお持ちなのは良い事なのだけれど、前回の日記の内容にもかぶるが、あまりそういう事を声高に言いすぎるのもいかがなものなんだろうと思う。「おまえらそんなこともできんのか」「俺ならそんなこと屁でもない」みたいなことをたくさん聞かされて下のスタッフたちはへこみまくりである。私はへこまないが。
人には得手不得手さまざまあって、例えば実作業でのスキルの低い新入社員でも「この人のこういうところは素晴らしいな」という部分はよく見ていればそれぞれにいろいろ見つかる。でも指示する立場で、自分の要求に対して自分の理想通りのレスポンスが返ってこないとついついそれが見えなくなってしまうようなのだ。木を見て森を見ず、まだまだ育つ可能性のある若木を「なぜできないんだ、おまえはできないやつだ」とあっさり見放して、結果、土壌はますます濁っていく。まったくもってもったいない話だ。
という仕事の愚痴だけれど、そういう話を上長にせねばならぬと思っているのです。なにせできたばかりの青々としたベンチャー企業、上長も私よりうんと年下です。痛々しいほどに頑張っている、上司も部下も。なのに空回り。悪循環。向かうところはひとつ、同じはずなのに。
「どげんかせんといかん」。
ちょっと変わったプログラマーの方がいらして、その方が今日ぽつりと「みんなそこに愛がないので良いものができない」みたいなことをぼやいていらして、すごく同感でした。仕事をしていていつも思う、「ユーザーに喜んでもらいたい」「お客さんが喜んでくれるのが何よりのしあわせ」といった気持ちは「無償の愛」に近い感覚だと思うのですが、それこそが、良いものを作る原点だとやはり私は思います。
まだまだ頑張るよー。

仕事のはなし

なんかもう死にそうなんですけど。日に日にやせ衰えていく。
あれですね、上に立つ人というのは、下の人を従わせるためにそれなりの虚勢というか誇示も必要だろうとは思うんだけれども、そもそもがその肩書きが付いているだけで十分すぎるほどに下のスタッフはそれなりに萎縮するわけで、それを意外と本人たちは気付いていないことが多いね。そんなにスタッフをびびらせて恐怖政治で統治したところでクオリティは下がる一方だよアホじゃないかと思ってしまうわ。
ところがこれが私なぞいちばん新しいぺーぺーの社員で新米も良いところなのだけど、なにせ歳だけ食っているもので(加えて態度もでかいし)他の方々が(おそらく)年上だというだけでとても気を使ってくださって非常に申し訳なくて、いやいや私なんて何もできないしダメな私なのよなので気を使わないで!><って思うんだけど、良識ある方々はどうしても気を使ってくださる。なんかすごく気の毒で申し訳ない。
まぁそんな今日この頃。とにかくいろんな意味で「これはヤバい」。