生きてます

この細い糸はまだつながっているでしょうか。

ほんの少しの暖かい友人たちへの近況報告です。

驚くべきことにまだ元気にしています。会社もまだもっています。元気な若者たちが泣けるくらいがんばってくれるので、なんとかつなげていかなければと、この数週間は週末も休みなしで仕事し続けました。
今日は久しぶりに(あってないような)代休を取って、本当に久しぶりによく寝ました。寝て、掃除して、洗濯して、料理して、「あーーーー、しあわせーーーー」と思いました。夏のような良いお天気だったしね。
週末、がっくり肩を落としながらいやいや仕事に行こうと玄関に向かうと、こどもたちが必ず「がんばってきてね」と言ってくれるのです。5歳の次男が朝の保育園での別れ際、「あきらめちゃだめだよ!」なんて言ってくれるのです(どこで覚えてきたのか知らないけど)。
大丈夫。まだまだ先は長すぎてクラッとするけど、なんてことはない。たった1日のこんなお休みだけでしあわせになれるのだからね。
人生っておもしろい。そんな今日この頃です。

追伸

前に紹介した舎弟のバンドがCDデビューしたよ。タワレコに行ったら看板出てるよ(梅田、四条では。他は知らない)。応援してね☆

準備

今度の日曜日、母がやってくる。数日に渡る仕事で近くに来るのだが、空き時間があって私のところだと都合がいいので一泊させてくれと言う。そう言いながらきっと私のことを心配して様子を見に来るのだろう。きれい好きで神経質な母のために、念入りに掃除をして準備をしなければいけない。

先日の誕生日のこともあってか、この数日はふと気が付けば母のことを考えていたりする。今も昔もよく働く人であった。いつもいつも話す暇もないほどに身を削るほどに働いて、幼い日にはそれをうらめしく思ったりもしたけれど、朝、目を覚ますと手編みのセーターが仕上がっていたりして驚喜したこともたびたびあった。私にはとてもできない。

幼い頃から中学生に至る頃まで、夜、母が熱心に物書きをしていることがたびたびあり、何をしているのかと聞くと、遺言をしたためているのだ、と母は言っていた。私にもしものことがあってもあなたたち兄妹がけんかすることなくいろいろと困らないように書いておくのだ、と。遺言に書き記して分配するほどの財産がある家ではなかったし、きっとあの「遺言状」のほとんどには母の「思い」がしたためられていたに違いないと今では思うけれど、私は今に至ってもその一通も発見したことも読んだこともない。

あの頃の母ほど熱心ではないが、はじめての子を授かってからというもの私もその気持ちが少しはわかる。もしも私が今いなくなっては困ることがいろいろと出てくるであろう、こどもたちが悲しむであろうと思えば、何か言葉を残しておかなくては、準備をしておかねばと、たびたび無駄に宛てのない手紙を書き記したことは既に経験済みでもある。

もうすぐ春が来る。この一年はよく泣いた。何かと言えば泣いていた気がする。驚くことに人前でも泣いたし、人がいなければ余計によく泣いていた。悔しかったし、悲しかったし、つらかったし、寂しかった。また新しい春が来て、暖かい風が吹く中で新しい何かが芽吹けば良いなと期待していたけれど、まだまだそうもいかないようだ。

さぁ、悔いの残らぬよう準備をしよう。まずは、寝るところから。朝が来たら、元気に「おはよう」と言えるように、ゆっくりと休もう。

ありがとう

机の上には山のような宿題。どれから片付ければいいのか、いややるべきなのかやらなくてもいいのか、それすらわからなくて私はすぐに目の前が真っ暗になってしまうんだ。


今朝、ドタバタと食卓を片付けバッグを肩に抱え、次男の手をひいて玄関に飛び出そうとしたとき電話が鳴った。時間がないのに、と、ちょっといらつきながら電話に出ると、のんびりとした声で受話器から「おはよう」と母の声。またか、と思いながら「なぁに?ごめん、もう出るとこなんだけど」と大げさに都合の悪さを声音に出しながら言うと、「うんうん、ごめんごめん、一言だけ言っておこうと思って」。
「お誕生日おめでとう。それだけだよ」
実は今日は誕生日だった。でも自分でも忘れてたんだ。私が急いでいるのに気を使って焦って「今度行くから、お誕生日のお祝いに何か送りたかったけど間に合わなくて、今度会ったときにたーくさんお祝いしよう、それだけそれだけ、じゃあね、気を付けて、いってらっしゃい」。


母よ。私はこの十数年、誕生日の最初にあなたから「おめでとう」と言われた記憶がないのです。いつも、「ママいつも忙しいから誰の誕生日も覚えていられないのよ、ごめんね」って言ってたじゃないの。
「あぁ、ありがとう。うんうん、ありがとう、ごめんね、急ぐから」と電話を切る時には、涙が一筋、私の頬を暖かく濡らしました。


母とは、いつもこういうものだな、と、つくづく思う。あなたに心から感謝します。

ひどい今とひどいむかしばなし

大変です。すごく大変なことになってしまってます。
給料止まった。
パチパチパチパチ、じゃねぇよばか。
そもそも「やばいんじゃないの」という話はずっとあったことはあったんだけど、ようやく先のめども立ってきて「なんとかいけそうかな」と思った矢先であった。
すごい困ってる。とってもとっても困ってる。みんな妙に前向きで何食わぬ顔で毎日出社して一生懸命仕事してるから余計困ってる。あたしは給料出ないのに仕事なんてしてらんないんすよ。でも今の立場じゃそんなことくちが裂けても言えない。遊んで暮らせる身だったらそりゃボランティアでも協力したいけどさ。上には直談判してるんだけど既婚で共働きだから大丈夫だろうくらい思ってるふしがあってはっきり返答してくれない。こっちにはこっちの事情があんだよ勘弁してくれよほんとにもう。かろうじてバイトには給料出てるけどもどうすんだよどうすんだよどうすんだよ勘弁してくれよおいおい。


実は私はばついちで、20代前半に2年間同棲した相手とそのまま結婚したことがある。結婚に踏み切ったのは相手が仕事など一切せず資格をとるための勉強をしたい、その間生活をまかなうのを手伝ってくれないかと言い出したからだった。だったら結婚しようと言ったのは私。若気の至りというやつですか。
そんな結婚生活、相手の親からも家賃分くらいの援助はあったけど、それまで月に12〜13万くらいの安月給でも楽しく通っていたデザイナーの先生のアシスタントじゃやっぱり生活できそうになく、正社員で転職するも結局16〜18万しか稼げなかった。でもひたすら倹約し、ほんのちょっとではあるけど貯金もした。それまで少しあったカードローンも完済してカードなどは一切使わないことにした。でも心は擦り切れていった。
無駄遣いをしないように毎日100円玉数枚だけを握り締め会社に通った。文具品を買うお金がないという相手に1000円渡すのに身がそぎ落とされる思いをした。それはあちらも同じだったんだろうけども。
そんな生活が2年間続いた。結局、資格は取れなかったのだけど、もう無理だと私が挫折し、働いてくれるよう頼んだ。相手も散々迷ったあげく、資格はあきらめることにして就職した。
私はようやく自分の好きなことができる、と、昼間会社に通いながら、夜や週末だけ自宅で受けていた広告代理店からのデザインの在宅仕事に力を入れることにした。まだまだ安定収入にはほど遠かったけど、なんとかやっていけるんじゃないかと思って思い切って会社も辞めた。
相手は働きはじめ、普通に生活できるようになっていた。でももう完全にふたりの関係は壊れていた。会話は少なくなり、一緒に何かをすることなどなくなっていた。そんな頃、お金に困り「5000円貸してくれませんか?」と相手に頼んだことがあった。そのときのことを私は今でも忘れられない。
相手は、困ったように眉をひそめ「5000円も持ってないの?」と笑って財布から抜き出した5000円札を私に手渡した。はらわたが煮えくり返る思いがした私はおかしいのだろうか。私はその5000円を「ありがとう」と受け取ったが、まもなくお金がたまるのを待って別居をした。


世の中は不況だとかで、うちの会社がこうなってるのもその不況とやらが原因なのかは知らないしどうでもいいんだが、あの頃の私と違って今の私にはこどもがいる。いろんなときに、そのこどもたちを捕虜にとられて身動きできないよう封じ込められているような感覚を覚える。それって当たり前のことなのかもしれないけどとてつもなく理不尽に感じることも多い。何かがおかしいんじゃないかと考え込む。
私がいちばんおかしいのかなぁ。

にんげんかんけー

昨年末の査定にて部署長に昇格しました。パチパチパチパチ。給料はいまひとつ。業績がなんたらかんたらで査定額からごっそり調整とかなんとかでムカムカムカムカ。いやいいけどさ。
うちの部署には新しく社員も数名入り、アルバイトスタッフももはや30人近くになりつつあります。この人数を一気に仕切るのは容易ではない。でも皆大変精力的に動いてくれて以前よりも確実に結果を出せる部署になってきたことは自負している。
が、やはり確実に変わったものがある。それが、にんげんかんけー。
以前は「にきにきさぁ〜ん」「なんだぁ〜い」と馴れ合って笑っていたバイトの子たちが今では「にに、に、にきにきさ・・・すすすすいません!」とかなってあきらかに怖がられている。実際私は鬼怖い。前からだけど。
職場環境、待遇面などで会社に対して抱える不満を本人もおそらくは知らず知らず何か見えにくい形で上長である私への不満にすりかえて軽い反発を垣間見せるスタッフも出てきた。
社員の方は皆今まで一緒の立場で頑張ってきた同士なわけで、「ついていくよ」と私の采配を全力で支持し働いてくれている。と、思っていたがこちらも一部でちらほら変化が見えはじめた。
今まではいつもいつも、とにかく一緒に話をし、考え、悩み、励ましあい、仕事をしてきた。今でも私は些細なことでもことあるごとに皆を集める。が、私が意見を発すると皆からは意見が出にくくなってきた。
意見、考えのポイントがこれまでは皆フラットに同ポイントだったのが、部署長になったことで私だけ+3ポイントくらいに感じられて発言がしにくいとかそういうのがあるんだろう。私はそんなつもりはないのだが皆がそう感じてしまうのは仕方がないし、そうあるのが普通というか正しいのかもしれないし、正しい正しくないはよくわからないのでまぁいいとして。
これからますますこういうにんげんかんけーで悩まされるんだろうと思うと気が重いが、私が割り切らねばならない部分、覚悟しておかねばならない部分をはっきりさせておかないと皆も余計迷惑するだろう。
少し寂しいけれど、気持ちを切り替えねばならないんだろうなぁと思っている今日この頃なのであった。

ライブハウスに行ってまいりましたの続き

なんかもうむしゃくしゃっていうかもやもやっていうかいらいらっていうかムラムラするのでうっとおしいぐらい日記を書くことにした。
ライブ見に行ったら、ステージやってる子らがみんなみんな全員ひとり残らずチョー楽しそうでチョーうれしそうでチョー満面の笑みっていうかもう全身から何かがほとばしりそうな勢いで「好きなことをやっている」満足感と自信と喜びに満ち満ち溢れていて「うわすげー」って気おされてめまいがしそうで「若いっていいなー」(つったってあいつらだってじきに30なんだぜ)とか思ったりもしたんだけど、なんだけど別に「そんな彼等がまぶしすぎて私は何をやってるんだろう…って思った」とかいうありがちな話じゃない、そんな日記絶対書かねえ。
いや実はまったく思わなかったわけでもない、「うらやましいな」ってちょっとは思った。「いいな」って思った。でもそんな彼らに「一歩も引けをとってないんだよあたしだって」とも思った。本気で思った。ただ私の「好きなこと」は200%仕事に向かってるんだけどさ。
「金とか名誉とかばからしい」とか言う人がいる。悪いが私は金がいる。絶対いる。なんとしてもいる。名誉はよくわからないけど、名誉=何かを成し遂げて得られた評価、であるならばそれは欲しいとも思う。
仕事をしていることで「子供や家庭を犠牲にしている」とか言う人もいる。「犠牲にしてる」なんて思ったら仕事なんてしてないからそんな話なんてもうはなから論外だよ私からしたら。何も得られない、何かを失っていくばかりだ、なんて思ってたらこんなに死ぬ気で働いてなんかいないんだよ!!!!(いきなり沸騰)ふぅ…。
信じているんです。私は信じているんです、私の好きなことや、ものや、人たちを。信じてるから、頑張れるんです。たとえ100人が100人に「あなたは間違っている」と言われても、信じることをやめられないんです。頑張っていきたいんです。どうか私の道をふさがないで。
実はもう辛くて辛くて毎日泣きそうで涙目で書いている今日の日記なのであった。