準備

今度の日曜日、母がやってくる。数日に渡る仕事で近くに来るのだが、空き時間があって私のところだと都合がいいので一泊させてくれと言う。そう言いながらきっと私のことを心配して様子を見に来るのだろう。きれい好きで神経質な母のために、念入りに掃除をして準備をしなければいけない。

先日の誕生日のこともあってか、この数日はふと気が付けば母のことを考えていたりする。今も昔もよく働く人であった。いつもいつも話す暇もないほどに身を削るほどに働いて、幼い日にはそれをうらめしく思ったりもしたけれど、朝、目を覚ますと手編みのセーターが仕上がっていたりして驚喜したこともたびたびあった。私にはとてもできない。

幼い頃から中学生に至る頃まで、夜、母が熱心に物書きをしていることがたびたびあり、何をしているのかと聞くと、遺言をしたためているのだ、と母は言っていた。私にもしものことがあってもあなたたち兄妹がけんかすることなくいろいろと困らないように書いておくのだ、と。遺言に書き記して分配するほどの財産がある家ではなかったし、きっとあの「遺言状」のほとんどには母の「思い」がしたためられていたに違いないと今では思うけれど、私は今に至ってもその一通も発見したことも読んだこともない。

あの頃の母ほど熱心ではないが、はじめての子を授かってからというもの私もその気持ちが少しはわかる。もしも私が今いなくなっては困ることがいろいろと出てくるであろう、こどもたちが悲しむであろうと思えば、何か言葉を残しておかなくては、準備をしておかねばと、たびたび無駄に宛てのない手紙を書き記したことは既に経験済みでもある。

もうすぐ春が来る。この一年はよく泣いた。何かと言えば泣いていた気がする。驚くことに人前でも泣いたし、人がいなければ余計によく泣いていた。悔しかったし、悲しかったし、つらかったし、寂しかった。また新しい春が来て、暖かい風が吹く中で新しい何かが芽吹けば良いなと期待していたけれど、まだまだそうもいかないようだ。

さぁ、悔いの残らぬよう準備をしよう。まずは、寝るところから。朝が来たら、元気に「おはよう」と言えるように、ゆっくりと休もう。