というわけで田舎

田舎に来ております。豊かな自然に癒されるぅ〜。んだけど下世話な人間関係(というか家族関係)に煩わされるぅ〜(母がうるさくて・・・・。
思うのだけど、「子育ては大変だ」とはよく聞くし、私自身も自分がこどもを持ってはじめてそれを切実に感じたのですが、実はそうでもないんじゃないか、と、この昨今のうっとおしい人間関係の中で思いはじめたりしている。
おとなはひとりで判断できる、行動できる、前提として自分のことは自分でできるのが「おとな」とすれば、こどもはまだ知識が乏しく、行動も未熟、まだひとりでは生きられないのが「こども」とする。
なんかまた前回の日記にキーワードでかぶってしまうけど、ひとりでは生きられないこどもを支えるのは親の役目であるし、何の見返りもない、報われることなどないと思っても無心に尽くすのが親の愛というものでしょう。いわゆるこれも「無償の愛」と言うんだろう。
でもこれがおとな同士になってしまうと親子であってもどこかで利害関係のようなものが発生しはじめる。気がする。配偶者や恋人、友人などに至っては、そもそもが赤の他人なので何十年付き合おうがほんの些細なことでそんな関係ご破算になる。気がする。
やれ「私はこんなに頑張ってるのに」、「僕はこんなに我慢してるのに」。¥が絡むとさらに目もあてられなくなってくる。「生活費はぎりぎりなのに自分だけ飲みに行って」、「汗水働いたあげく小遣いこんだけかよ」。そうかそうか結局金なんだな、わかったわかった、だったら稼ごうじゃないの、なんて思ったこともあった。もちろんそれだけじゃない事もわかっちゃいるけれども。
「愛情」なんていうものにしたって結局何かあるとそういう部分に落ちてくる。事が多い。気がする。「私はこんなに愛してるのに」、「僕はこんなに尽くしたのに」。「愛」にかこつけて何かと見返りを求めてくる。「思いやり」とか「礼儀」とか「責務」ならまだわかるけど、「愛してるから何なのよ」って言いたくなる。
その点、こどもはいい。こどもはいい、というか、親と幼いこどもの関係は、いい。親子のあいだでも、そりゃ無心に愛情を求めはするだろうけども、それは決して見返りとかじゃない。
まぁこどもはかわいいね、っていう話でした。あと母さんうるさいよ・・・っていう話。