七十五日

「人の噂も七十五日」という言葉がありますが、なぜ七十五日なのか諸君はご存知であろうか。これは五行思想・・・はい、調べましたね?理解しましたね?おりこうさん、よくできました。「人の口に戸は立てられぬ」ということわざもありますが、これは別に調べるまでもないですね。はい、今日の授業は以上です。起立!礼!
考えてみると、噂というのは恐ろしいものだ。知らない分には気楽なものだが、自分の噂が自分の耳に入ってそれを知ってしまうとこれほど恐ろしく感じるものはない。知らぬところで知らぬ人たちが知らぬ意図を持って知らぬ話しをして知らぬうちにそれが知らぬ伝わり方をもって広まっていくのであるから、そこにエッセンスとしてほんのひとしずくの悪意などでも紛れていようものなら、気が付いたときにはそこでの自分の姿はもはや醜悪な化け物以外の何者でもなくなっていたりするわけだ。
そんな人の噂も「七十五日、つまり一季節もたつ頃にはおさまるものだから、気にせずにおれば良いよ」というのが「人の噂も七十五日」ということなのだが、例えばいつまでも執拗に噂の種を蒔く人がおれば、その七十五日は都度リスタートされ永遠に延び続けるわけで、ちょっとちょっとそろそろもうやめてくださいよと思ったところで今度は「人の口には戸は立てられぬ」のだから如何ともしがたいわけである。
そも噂とは、それが消えるにはその場に本人がいないことが前提としてあるらしく、「その場」をどう定義するかにもよるけれども、例えば諸兄がそういった立場に立たされていたとしたならば、そうでなくても「もうこんなところにはいたくないわー」となって当然だとは思われないだろうか。そうでもない?ああそうですか。わかりにくい?ああそうですかそうでしたか。
つまりね、例えば誰かを自分のテリトリーから追い出したい、身近にいて欲しくないならば、ほんの少しの悪意を刷り込んだ噂をし続ければおのずと去っていくだろう、ということですよね。このときに注意せねばならないのは、決してその悪意をあからさまに見せてはいけないということです。あくまで自分は善人でいなければ、そこそこ賢い人たちは、そんな噂をする人こそよろしくない、とすぐに気が付いてしまうのでね。
ああ、人間のくちのなんと恐ろしいことでしょうか。この世にあふれる悪意に息が詰まってしまうよ。私にとっての「その場」はこの世界すべてではないかと絶望する前に善を探さなければ。そう、ではこれを逆手にとって、毎日ひとつ、すてきな噂を広めれば、この世は美しく善にあふれるということはないだろうか。一日一善一噂。


見てごらん、あの虹の橋を渡ると、会いたい人に会えるのだってよ。