宣伝しとく

クリスマスも終わり、年の瀬も瀬ななか皆さんいかがお過ごしでしょうか。私はぼろぼろです。明日は最終日(仕事の話)、明日までは気を抜かず死ぬ気で頑張ろうと思いながらも死にたくはないのでごろごろしています。
ところで昨日はものすごく久しぶりにライブハウスに行ってまいりました。うちの舎弟がメインでやるっていうんで同僚と見に行ったんですが、ライブの前に会社行って仕事していくって言ったら同僚が手伝ってくれるっていうんで、やったね!よろしくーとか言ってたんだけど気分悪くて起きられなくて午後の3時半くらいに仕事の電話で起こされて、それから風呂入ったりしてたら家を出たのが5時半くらいになって同僚がすっかりへそ曲げててごめんなさいごめんなさいって言いながらものすごく久しぶりにライブハウスに行ってまいりました。
固定ファンがけっこういてライブハウスがぎゅーぎゅー満員でびびった。ステージもすごく面白くてびびった。なめとった。あーびっくりした。
というわけで、年明けから京都・大阪・名古屋・東京でもライブやるみたいなので、宣伝しておきますが、年明けから舎弟は私が完全に抱え込んでアシスタントにする予定で承認ももらってるんで(社内政治的な話)死ぬまで働かせるだろうから年明けからのライブの出来が悪くなるかもしれませんけどそんなもんは自分でなんとかしてよねって言っときます。
こっちこっち

やぁ

なぜそんなにも人は争いたがるんだろうね。競いたがるんだろうね。なぜそんなにも自分の正当性を訴えたがるんだろうね。思い通りにならないものを退けて、人よりわかった気になったことに優越感を覚えて安心して、認められたがって、なぜにそんなにも求めたがるんだろうね。

あぁ、うんざりなんだよ、こんな世界に。人々に。

ただ問題なのは、自分こそがそういう人間だということだ。結局は、自分がいつも居心地よく、わずらわされず、甘やかされて、ぬるぬると怠けて暮らしたいだけだろう?

違うのかい。そうかい、てっきりそうとばかり思ってた。悪いが私はそういう人間だ。

望郷期

心が疲れてくるといつも「田舎に帰りたい…」と思う。田舎を持たない人、都会生まれ都会育ちの人などはそうならないんだろうか。
「田舎に帰りたい…」
都会も楽しい。便利なのは何よりだ。田舎など何をするにも不自由で、買い物ひとつするのにも苦労する。でも
「田舎に帰りたい…」
いや、田舎に帰りたいというよりは、自然の中に佇んでいたい、という方が正確かもしれない。疲れてくるとすぐ、人気のない山奥や海沿いのコテージのようなところにこもる妄想をはじめてしまう。
でも実際にはそんな場所がどこにあるんだか知らないし、行くとなるとお金がかかるし、そういう時間を作ろうと思えばまた家がなんじゃ子供がかんじゃ仕事がうんじゃらとややこしいし、計画をたてる前からめんどくさくなって、するといちばん楽な選択肢、
「田舎に帰りたい…」
になるんだけど、田舎に帰るのにも私などはけっこうな大金(交通費)がかかるのでそうそう簡単には帰れなくって、じゃあわざわざどこか行かなくても住んでる場所がそういうところだとばっちりなんじゃん?というわけでしばしば
「田舎に住みたい…」
となる。心が疲れる大きな原因のひとつに育児に関する悩みがあったりするのだけど、子供と喧々諤々やりあったあとなど、「あぁ、窓の外に大きな庭や、もしくはもうそこが山の中だったりちょっと行くと小川が流れていたりなんかしたらこんなぎゃーぎゃー騒いだあとでも一緒に外を走り回ったりすればすぐに気持ちもほどけそうなのに」なんていう新たな妄想がはじまって
「田舎に住みたい…」
とよく思う。今だって実は引越ししたくてたまらない。でもだいたいが引越ししたくなるときって環境を変えれば何かが良い方向に変わるんじゃないかっていう根拠の薄弱な現実逃避だったりするしだいたい引越ししてもどこ行ってもたいして変わらなくて、それより引越しなんて田舎への帰省費とは比べ物にならないくらい膨大なお金がかかるわけだし学区が変われば子供にとっては転校という大きな負担がかかってくるのがとても問題だしで
「しのごの言ってる暇があったら気分転換して前向きにがんばれよ」
というところで妄想を振り払って本日のおしごとしゅーりょー。

もはや愚痴以外一言も吐けない

私の働く会社は社員20人ほどの小さな会社です。アルバイトが山のようにおりはするけれども。
社員20〜30人くらいの会社ってとても中途半端というかどっちつかずのとこがあって、少人数で和気藹々という面もあれば、とは言えそれなりの人数だから部署をわけ、わければそれを取りまとめる人(いわゆる管理職?)を選ばねばならず、少ない人数だからこそそういった時にとても人間関係に気を使うというのはよくあることだと思うのです。
それから、小さくてまだ新しいベンチャーなどではこれもよくあることだと思うけれど、その会社をひっぱっているほとんどの原動力が社長の熱意とか行動力とかだけだったりして、社員からすればそんな社長という人がいつの間にかカリスマになってたりするものだから、会社における自分の評価(=大半は社長からの評価)に一喜一憂、他の人の評価が上がると気が気でなくなったりするなんてこともあると思う。というか最近の私はもっぱらそんな事象に心が磨耗していてまいっちゃってるって話。
とってもつらい。ほめられるのは嬉しいけど、そのあとにやってくる、いつも現場で一緒に仕事してるメンバーからの冷たい目線が耐え難くつらい。個人的な思いなんてのは仕事でなくてもどこでもいつでもあるわけで、でも一緒に仕事してるからには「仕事の完遂、成功」が第一の目的であって、評価されるために働いてるわけじゃないんだからどうでもいいじゃんかそんなことーって思うんだけど違うの?どうなの?
がんばっているのになんだかすごくがっかりしちゃうんです。

疲れるぅー

当方、高齢のため日々の疲れが取れません。たまに年配でもやたら元気な人(例えばうちの母など)っているけど、ああいう方々ってなんなの。なんか特殊な能力でもお持ちなの。それともなんか特殊な白いお粉のお薬でも飲ん(
でもさ、あまりにも疲れて、だけど終わりの見えない仕事や育児が明日からもずっと続くことがわかってて、そこから逃げるわけにも行かなかったりすると、やけに元気になれちゃうらしいぜ?なんて聞いたりするそんなお薬に手を出してみようかなんて魔がさす気持ちもわからなくもないって気になってきたりし(ダメ、ゼッタイ
まぁそんなのは冗談だけどホントに疲れが取れなくて困っちゃって、まだ体の疲れか心の疲れかどっちかだけならどうにかなりそうだけど、これがたいがいセットで発生するっていうか、片方が疲れちゃうともう片方もそれに引きずられちゃうってことなのか、まぁどうでもいいけどもうあたし疲れちゃったし!ていう今日この頃、皆様はお健やかにお過ごしでしょうか、こんばんはnikinikiです。
そして寝る。

秘密基地

作詩:高田梢枝 作曲:高田梢枝


あの頃の小さな僕が見上げる 空はほんとうに広かった
好きな人をこの手で 守れると思っていた 本気で


どうして背が伸びない それが悔しかった


わがままをまだかわいいと 勘違いしていたんだ ずっと
あきらめることなんて 思い浮かばなかった ただ前を向いてた
でも、、、


できないことばかりで 早く自由になりたくて


いくら手を伸ばしたって 届くはずのない 大きな大きな空
でも僕は何にも疑うこともなく キレイな未来を信じてた
悔しいことがあると こらえ切れなかった 大きな大きな涙
でもあのときの僕の目は何より 輝いてたと思う


あれから随分背も伸びて 世の中のこと少しわかって
一生懸命がカッコ悪くて 冷めたフリして歩いていたよ
でも、、、


中途半端な僕には 何ひとつできなかった


いつからか僕は きらめく明日を信じてたことさえ忘れて
自分を守るために たくさんの大切なものを傷つけてた
遥か遠く真上の空の向こうに 何があるか知りたくて
「大人になったら必ず行くんだよ。」って 約束したんだ


いくら手を伸ばしたって 届くはずのない 大きな大きな空
でも僕は何にも疑うこともなく キレイな未来を信じてた
悔しいことがあると こらえ切れなかった 大きな大きな涙
でもあのときの僕の目は何より 輝いてたと思う


あの頃の小さな僕が見上げる 空はほんとうに広かった
好きな人をこの手で 守れると思っていた 本気で